ここまで、自分の殺意や敵意をまとめてみた。きっと、ちゃんと働いて、家の外に出て、殺意の対象から離れるってのが、一番の解決策なんだと思う。
私が出ていった後に、近隣住民への被害とか、トラブルが起きたとしても、それは私には関係のないことなのかもしれない。
ただ、台風の夜に、ぶっ壊れた鉄骨と、飛んでいきそうな太陽光パネルの様子が、今でも脳に焼き付いている。私は、二度と同じ失敗はしてはいけないと思っている。油断、慢心よる金持ちに道楽が、他人の財産に損害を与えてはいけないと思っている。
だから、反省をすることなく、同じことを繰り返そうとする身勝手な父親の生き方に憤りを覚え、積み重なった憎しみが、殺意へと繋がる。しかし、実際に、暴力の才能のない私は、殺すことはかなわず。「はやく死ね」とか「自殺しろ」と思うばかりである。
一連の流れで、兄へも憎しみが最大限に高まった。思えば、子供の頃からの憎しみを、なかったことにしていたのは、兄の結婚が大きいように思える。
相手方の親族とか、結婚式の様子とかが、いっとき、私の心から憎しみを抜き取ったのかもしれない。しかし、抜き取っただけで、根本的に消えたわけではない。
兄は、父親と比べると、「殺したい」という気持ちは少ないかもしれない。ただ、「頑張ってほしい」とか、そういう気持ちはなくなった。なんなら「不幸になれ」と思っている。
「自殺しろ」という気持ちが、父親に向かうそれに比べると、強くないのは、「乗り切った」と言っても、父親から暴力を受けたという事実を知っているからかもしれない。「乗り切って強くなった」と言っても、暴力なんてないに越したことはないだろう。
兄からの性的虐待のことを考えると、「殺したい」ぐらいに憎んでも良いのだけど、もっと「殺したい」とか「自殺しろ」と思う相手がいると、それが薄まるのかもしれない。
あるいは、鉄骨の一件での一連で、完全に関係性が終わって、今後の人生で、兄弟と言えど、関わることがないからかもしれない。自分が人間的な優しさにあふれる方ではないと思うし、ゆるそうという気持ちもないのだけど、文章にしてみると、ある程度、発散されたものはある。
だけど、私と兄は、もう関わらない方が良いかもしれない。
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